株式会社テックドクターの「AIと医療の関係研究所」では、AIが医療のあり方をどのように変えていくのかについて、日々調査や研究を進めています。
今回はその活動の一環として、研究者としてだけでなく臨床医としても活躍されている岸本泰士郎先生と矢野裕一朗先生に、対談形式でお話を伺いました。
生成AIや大規模言語モデル(LLM)をはじめとするAI技術が、将来的に医療現場でどのように活用され得るのか。その可能性とリスク、そしてAIが社会と医療の関係にどのような変化をもたらすのかについて、幅広い視点から語っていただきました。本稿では、その対談の前編をお届けします。
湊:
まずは、岸本先生のご専門や関心領域についてお伺いします。

岸本泰士郎先生 | 慶應義塾大学医学部 医科学研究連携推進センター 教授
岸本先生:
現在の所属は慶應義塾大学医学部の医科学研究連携推進センターです。診療科横断かつ学部横断的に研究開発をしていく部門として、様々な研究活動を行っています。
私自身は精神科医であり、そのトレーニングを積んできましたが、精神科医として領域のアンメットニーズに応えるような研究もしてきましたし、少し広い概念である行動科学に根ざした研究開発も行っています。
行動科学には様々な捉え方がありますが、私の理解では、「人々の意思決定のメカニズムを理解し、望ましい行動変容を促す」ことを目的とした、学際的な学問です。
そこには精神医学や心理学はもちろん、公衆衛生的な観点も不可欠です。さらに新しいことを試みるには、工学や経済学、特に成功を収めている行動経済学のような学際的な知識をうまく活用し、医学的な観点から患者さんを含む多くの人々に望ましい行動変容を促す必要があります。
これは予防医療と密接に関わっています。予防医療で最も大切なのは、多くの人に生活習慣を望ましい方向に変えてもらうことです。しかし、単に指導するだけではうまくいかないことは今までの経験から十分に分かっています。こうした限界に対して、デジタル技術を用いることで、より良い手法を提案していくことが今後は必要だと思っています。
湊:
AIやLLMについて、どういったことにご関心をお持ちですか。
岸本先生:
私自身、精神科医であることから、精神医学における様々な課題は認識しているつもりで、それに対するアプローチとしてAIを使ったアプローチに取り組んできました。具体的には、精神疾患のほとんど全てにおいてバイオマーカーが存在しないため、その定量化が困難であることです。定量化ができないということは、早期発見が非常に難しいだけでなく、治療効果の判定も困難になります。ひいては、新薬開発の難航など、様々な問題が生じています。
そこで私は、ウェアラブルデバイス、あるいは話し言葉の解析といった新しいアプローチに着目し、これまで研究開発を進めてきました。これは、私たち精神科医が感覚的に捉えていた精神疾患の特徴量を、より可視化・数値化しようという試みです。こうした自身のノウハウを、行動科学の分野に十分に活かすことができれば、行動科学をベースにした医学の新たな技術開発につながるだろうと考えています。
湊:
ありがとうございます。
続いて矢野先生、よろしくお願いいたします。

矢野裕一朗先生 | 順天堂大学大学院医学研究科総合診療科学 教授 兼 AIインキュベーションファーム センター長
矢野先生:
私は順天堂大学総合診療科に所属しています。また、本学でAI研究や実装を推進するAIインキュベーションファームも併任しています。
AIインキュベーションファームでは、AIを基軸とし、産学連携だけでなく行政も巻き込んだ形で研究推進と社会実装推進を主に行っています。
AIにはデータが不可欠であり、医療DXの分野ではデータの収集から分析までをワンストップで管理することが必要です。各病院や部門(検査部門、薬剤部門など)で生成されるデータをいかに標準化された形で格納し、統合するかが求められます。データが統合されれば、LLMや生成AIの活用が容易になり、解析もスムーズに進められます。
一方で、医師側の入力負担も課題です。カルテをシンプルに書かれる先生から複雑な書き方をする先生までいらっしゃるので、医師の入力方法をどのように整備していくかについても、医療DXとAIを組み合わせた取り組みの中で検討を進めています。
比較的良いニュースとしては、音声認識による入力が進んでいる点が挙げられます。
しかし、音声入力は、過剰な会話まで記録されてしまう可能性があります。そのため、本音を話しにくくなるなどの問題もあります。テクノロジーには必ずそういった良い面と悪い面の双方があるでしょう。
湊:
総合診療科の強みについても教えていただけますか。
矢野先生:
医療AIの進化とそれに伴う課題を、放射線科を例に見てみましょう。
5~6年前、医療AIが登場した当初、「放射線科医の仕事はAIに奪われる」と言われました。しかし、多くの放射線科医は今、実際には「むしろ仕事が増えた」と指摘しています。なぜ、このような逆説的な状況が生まれているのでしょうか。その原因は、現在のAIが特定の領域に特化しすぎている点にあります。例えば、あるAIは肺の病変を高い精度で検出できても、同じ画像に含まれる骨の異常は見落としてしまいます。このように、個々のAIは専門分野で優れた能力を発揮しますが、それらの情報を統合し、患者全体を俯瞰的に診断できるAIはまだ存在しません。そのため、最終的には医師が各AIの診断結果を検証し、総合的な判断を下す必要があります。この「最終確認」のプロセスが、かえって医師の負担を増大させているのです。
特定の領域に特化したAI、例えば循環器や呼吸器に特化したAIは今後登場するかもしれませんが、それらを横断的に臨床推論を深め診断できるようなシステムはまだ存在しません。これは世界的に見ても未開発の領域であり、どのように開発を進めていくかという点で、総合診療は非常に興味深い立ち位置にあると感じています。
湊:
ありがとうございます。
LLMの医療活用に関する動向や課題について教えていただけますか。
矢野先生:
現状のLLMには2つの課題があります。
1つは、総合診療科のような能力を発揮できるかどうかです。現在、各社から高性能なLLMが発表されており、医療に特化していない汎用型でも、医療分野で成果を上げています。例えば、Googleが数年前に発表した医療特化型モデル「Med-PaLM」よりも、現在の汎用型モデル「Gemini 2.5」の方が医療における正解率が高くなっています。
しかし、LLMには臨床推論力、特に複数の科にまたがる病気を診断する能力がまだ十分ではありません。総合診療科では、データを収集し、仮説を立て、検証し、最適な答えを見つけるというサイクルを繰り返しますが、現在のLLMではこの能力がまだ低いと感じています。
また、研究として論文にも発表しましたが、現在のLLMは「正解を選び出す」能力は高いものの、「間違いを指摘する」(医療で言う「禁忌」)能力が弱いという課題があります。医療分野におけるLLMのベンチマークが医師国家試験などになっているため、「正解を選ぶ」ことに重点が置かれているのかもしれません。しかし、批判的思考力や、間違った選択肢を排除する能力は、正解を選ぶこととは別の非常に重要な能力です。この点において、現在のLLMには限界があると感じています。
患者さんにとって正しいことをするのはもちろん重要ですが、やってはいけないことをしてしまうと、患者さんに多大な迷惑がかかるだけでなく、医師免許剥奪など、医師自身のキャリアにも大きなネガティブな影響を及ぼします。そのため、LLMにどのように学習させるかが重要です。
将来的には、マルチエージェント型のように、やってはいけないことを指摘するLLMを開発するグループも出てくるでしょう。これらの点が、現在のLLM開発において重要視されている課題だと考えています。
湊:
岸本先生からご覧になって、LLMが実際の外来で患者さんや医師にどのように使われると予想されますか?

岸本先生:
ご存じのように、最近のLLMは、人間と同じような流暢さで会話できるところまで至りつつありますね。精神科領域ですと、LLMによってカウンセリングのようなこともできてしまうんですよね。
私自身、詳細を確認しているわけではないですが、少なくとも、患者さんの、ちょっとした悩みの相談程度であれば、ある程度適切に対応できるようにみえます。カウンセリングにかかる、あるいは精神科医を受診するというのは、患者さんにとってはかなりのハードルです。リスクがなくうまく使えるのであれば、本来はとてもいい話なのだと思います。
しかし、人間の熟練したカウンセラーのように患者さんの長期的な予後を考慮し、時には患者さんにとって心地よくない質問も投げかけながら、患者さんが少しずつ変わっていくことを支援するといった複雑なプロセスにおいては、まだLLMは人間に及ばない点があると思います。また、カウンセリング中に、患者さんの表情一つ一つを細かく観察しながら機敏に反応するといったことは、まだAIには実現が難しいでしょう。
一方で、AIにそういった技術を教え込むことや、逆に、どうするとよりよいのかを人間がAIから学ぶフェーズも来るかもしれません。病気の早期発見やデジタルバイオマーカーによる患者さんの状態の定量化に加えて、予防の領域でAIが患者さんの状態を改善させるという使い方は、かなり現実味を増していると感じています。
湊:
今のお話に関して矢野先生に伺いたいのは、LLM活用時に業務フローを大幅に変える必要があるか、例えばドキュメント作成や録音・議事録の取り込みといったことが必要になるのかという点です。
現在の医療現場でLLMを有効活用するために、どのような準備が必要でしょうか。
矢野先生:
先ほど岸本先生がおっしゃったように、医師が診察で捉える肌感覚や直感といった部分は、AIで再現するのが極めて困難です。AIはテキストデータを解析できても、その人の持つ雰囲気や、顔の表情・しわに刻まれた人生の背景といった非言語的な情報までを読み取ることはできません。こうした人間ならではの洞察が求められる領域は、今後もしばらくAIにとって大きな課題であり続けるでしょう。
AIが万能ではないという事実こそが、今後の医療の可能性を広げます。重要なのは、AIに人間の仕事を代替させることではなく、いかにして共存し、より良い医療を実現するかという視点です。現時点において、AIが医師を完全に代替することは考えられません。目指すべきは、データ解析などを得意とするAIと、医師ならではの「職人的」とも言える専門性や洞察力を組み合わせることです。この協業により、医療全体の質を一層高めていくことこそ、私たちが目指すべき未来の姿ではないでしょうか。
湊:
まさにその「組み合わせ」をどのように未来志向でデザインすればよいのか、お伺いしたいと思いました。
私たち「AIと医療の関係研究所」でやろうとしていることは、AIが完全に医師を置き換えることはないと思っています。むしろ、見えていない部分や手が届かない部分をAIでどうフォローアップし、予防に活かすかというところにあると思います。どのような方法や取り組みがあり得るでしょうか。

矢野先生:
AIの台頭は、医師に求められる役割を大きく変えつつあります。かつては医学知識の提供者(Knowledge Provider)であることが医師の主な役割でしたが、これからは、岸本先生がおっしゃるような共感力を基盤とし、患者一人ひとりの人生に寄り添うアプローチがより重要になります。その好例が、がん治療における選択です。ここに、A(効果は大きいが副作用も強い)とB(効果はやや劣るが副作用は少ない)という2つの治療法があるとします。
AIは、医学的な正しさや効率性を基準とするため、迷わずAを推奨するでしょう。しかし、もし患者が子育てや介護の真っ最中であれば、「効果はベストでなくとも、副作用の少ないBで生活の質を維持したい」と考えるのは自然なことです。このような患者固有の価値観や人生の背景を汲み取り、医学的な最適解(A)とは異なる選択(B)に寄り添い、共に意思決定を支援すること。これこそ、AIにはできず、人間にしか提供できない価値です。
つまり、医師の役割は、正解を提示する「What」から、その知識を患者の人生にどう活かすかを考える「How」へとシフトしています。これからの医療人教育では、この「知識を活用するための対話術(メディカル・コミュニケーション)」こそが、これまで以上に中核的なスキルとして位置づけられるべきでしょう。
岸本先生:
AI時代の医師の役割、これは確かに難しいですね。
患者さんの視点からすると、おそらく医師よりも医学的知識に勝るAIをうまく活用してほしいと思うでしょう。疲弊することなく、がんを確実に見つけてくれるAI内視鏡を使ってほしいと思うでしょう。
ですので、今後の医師には、利用可能なAIテクノロジーを駆使し、患者さんと共に適切な治療を相談しながら提供していくことが求められるようになると思います。
もう1つの重要な要素は、患者さん自身の知識が豊富になってきたことです。私が医師になった25年前は、インターネットが普及しはじめたばかりでした。インターネットを介して患者さんの医学知識が急速に増したことに当時、医師たちは動揺しました。ちなみにこれはとてもいいことですよね。「情報の非対称性」は本来、解消されるべきです。ただ、必ずしもインターネットの情報が正しいとは限らない。患者さんがインターネットで調べてきても、情報が偏っていたりで、やはり経験で勝る医師には勝てなかった。
ただ、これからはどうでしょう?LLMの進展に伴って、患者さんはより適切な情報にたどりやすくなるかもしれません。
湊:
そうした技術を活用することで、どのような変化が期待されますか。
岸本先生:
患者さんが自身についてのより正しい情報をもって医療を受けるという世界は、ご本人にとってより適切な医療の提供につながりますので、最終的には良い方向に向かうはずです。ただ、今生じている変化は急激なもので、それなりの混乱が生じるかもしれません。規制当局が、こうした技術をどこまで医療の中で許容するかも、まだまだ見通しがつきません。
もう一つの重要な点は、リスクに非常に敏感で、規制の厳しい医療の中でのAIの活用だけでなく、医療の外、すなわちヘルスケア領域での活用が大きく進む可能性です。健康増進に向けて様々なテクノロジーの積極活用に反対する人は少ないと思います。予防医療がさらに進歩し、疾患が減っていくのは望ましいことですから。医療領域に比べれば、ヘルスケア領域におけるAIの活用は自由度も高くスピーディーに導入が進むでしょう。日常生活を見守る技術が発展した今、それを通じた行動変容にも期待がもてます。
湊:
AIが医療現場にもたらす変化の一端を感じることができました。後編ではさらに、社会全体との関わりについても伺っていきたいと思います。ありがとうございました。
続きは後編をご覧ください▼
https://www.technology-doctor.com/case/amrl-dialogue-02
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